兼務社のご案内 CONCURRENT SHRINE
兼務神社一覧
本来は一つの神社に一人の神職が就き、祭りの奉仕や日々の管理を行うことが望ましいのですが、神社数に対して神職が少ないという現状や、専従の神職を置くことができない神社があることを踏まえ、兼務する場合がございます。
画像上の名称をクリックすると、該当箇所の説明欄に遷移します。
1.熊野神社
鎮座地 | 千葉県流山市東初石3丁目132番地 |
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交通 | 東武野田線・初石駅より東1キロ、つくばエクスプレス及び東武野田線・流山おおたかの森駅より北東1キロ |
御祭神 | 熊野大神 |
例祭日 | 10月15日 |
十太夫全域と初石、駒木台の各一部の産土神です。創建年代は不詳ですが、『八木村誌』では慶安2(1649)年に十太夫新田が開発され成立したことが読み取れ、享保年間(1716~1736年)には村高のことが誌されています。このことから、江戸時代中期にはすでに創立されていたと思われ、集落の形成に際し紀伊の熊野三山より勧請鎮祭されたと思考できます。
現在の御社殿は昭和51(1976)年に改築されたものです。熊野神社は紀伊にある本宮(熊野本宮大社)、新宮(熊野速玉大社)、那智(熊野那智大社)の併称で、中世以降三山綜合共通の信仰で成立しました。
2.稲荷神社
鎮座地 | 千葉県流山市西初石5丁目36番地 |
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交通 | 東武野田線初石駅より南1キロ、つくばエクスプレス及び東武野田線・流山おおたかの森駅より北西1キロ |
御祭神 | 宇迦之御魂神(倉稲魂命) |
例祭日 | 2月11日 |
享保15(1730)年に大畔の新開地として開発され、その鎮守として創建されました。昭和42(1967)年の改築に際しては、社叢改善の際に境内林の杉木を伐採し、これを用材としました。明治22(1889)年から大畔新田、昭和46(1971)年からは西初石5丁目になりました。境内には明和2(1765)年の庚申塔があります。
3.八幡神社
鎮座地 | 千葉県流山市駒木台224番地 |
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交通 | 東武野田線・初石駅より北東1.5キロ |
御祭神 | 誉田別尊 |
例祭日 | 10月15日 |
この地は慶安2(1649)年に、駒木村の村請新田として墾かれ、はじめは諏訪神社をお祀りしました。その後、享保15(1730)年に八幡神社を創建。そして明治17(1884)年現在の地に御社殿を新築して遷座しました。駒木台の地は、明治のはじめ頃から醤油・油等の製造が盛んで社頭も大いに栄えました。
現在の御社殿・社務所は平成11(1999)年に改築したものです。
4.香取神社
鎮座地 | 千葉県流山市青田64番地1 |
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交通 | 東武野田線・江戸川台駅より東1.3キロ |
御祭神 | 経津主神 |
例祭日 | 10月15日 |
創建年代は不詳ですが、この地は慶安2(1649)年に大青田村の新田開発によって集落が形成され、その際に東国開発の守護神が祀られたと思われます。境内に元禄年間(1688~1704年)の石碑があることから、この頃にはすでに神社が鎮座していたと考えられます。
昭和45(1970)年、寛政7(1795)年に再建された社殿が荒廃したため部落共有地を売却し、社殿を改築、社務所を新築、社頭の整備を行いました。平成6(1994)年には鳥居を再建しました。
尚、室町時代には、すでに現在の地名でした。
5.天形星(てんぎょうせい)神社
鎮座地 | 千葉県流山市長崎2−157番地 |
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交通 | 東武野田線・豊四季駅より西0.7キロ。つくばエクスプレス及び東武野田線・流山おおたかの森駅より南1キロ |
御祭神 | 素盞嗚命 |
例祭日 | 10月15日 |
寛文2(1662)年に創建と古記にありますが、室町期にはすでに現在の地名であり、当地開発の歴史から見ても創建は更に遡ると推測されます。御祭神は天照大御神の弟神、出雲族の始祖です。出雲で八岐大蛇を退治し、その尾から天叢雲剣(草薙剣)を見つけ、これを天照大御神に献上されました。また「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」という歌を詠まれました。これが日本最古の和歌といわれ、和歌の始祖とも称えられています。
昭和63(1988)年、社殿の老朽化に伴い本殿、幣殿、拝殿を改築しました。
境内社 石見神社
境内の石見神社は、寛政年間に徳川幕府の房総三牧の野馬方総取締りをされた旗本岩本岩見守正倫をお祀りしたお宮です。
根本隆氏の調べによると、御祭神は、甲斐の国岩下村(現韮崎市)岩本家に生まれました。徳川幕府に仕え、第11代将軍家斉の信任篤く、寛政5(1793)年(37歳)には小金・嶺岡・佐倉三牧の取締支配に任命。以後も多くの要職に就き、栄進・三牧の支配役の際には、各地で善政を施しました。そのため、各所に報徳碑があります。
明治初年には、文化9(1812)年に建てられた岩本大明神の碑を御神体として、野々下字内宿742番地を境内と定め、社殿を設け鳥居を建て代々祭祀を続けてきました。
昭和63(1988)年にこの地を譲渡して天形星神社社殿を改築、石見神社を現在の地に新築・遷座しました。
6.天神社
鎮座地 | 千葉県流山市市野谷314番地 |
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交通 | 東武野田線・豊四季駅より西2キロ、つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より北0.5キロ |
御祭神 | 菅原道真公 |
例祭日 | 10月15日 |
社伝には、寛文10(1670)年6月6日創立と記されています。しかし古老の伝えによると、江戸時代より以前の創健ではないかと考えられます。
現在の御本殿は、文久3(1863)年に建築されたものです。近年の区画整理事業により、現在の鎮座地の西側の地へ境内地を移転することとなりました。現在建築工事中で、令和7(2025)年竣工の予定です。正月25日には、社殿前にて鬼の面を描いた的に氏子が矢を射て、作物の吉凶を占うお備射行事が行われます。
7.天神社
鎮座地 | 千葉県流山市後平井159番地-1(運B109街区5) |
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交通 | つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より北0.3キロ |
御祭神 | 菅原道真公 |
例祭日 | 10月15日 |
天正10(1582)年9月創建との古い記録があります。鎮座地は、流山セントラルパーク駅の開業によって現在の地へ移されました。境内の巨杉の伐採が惜しまれますが、その一部を御社殿の建築用材として使用しました。御祭神は、文章道の家系に生まれ、広く経史に通じた菅原道真公です。5歳にして和歌を詠じ、11歳にして詩を賦しました。類聚国史200巻を撰し、宇多天皇の絶大な信頼を得て右大臣となられました。しかし反対派に妬まれ、太宰権帥に貶(お)とされ、延喜3(903)年2月25日に薨ぜられたと記録にあります。
8.大宮神社
鎮座地 | 千葉県流山市平和台5丁目44番地 |
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交通 | つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より西0.8キロ、総武流山電鉄・流山駅より東南0.7キロ |
御祭神 | 天宇受女命、大国主命、玉依姫命、少彦名命、豊受姫命 |
例祭日 | 10月9日 |
創建年代は不詳。建長年間(1249~1256年)、鎌倉時代の記録が残っているものの、詳らかではありません。しかし、この地方の開発は古く奈良時代の頃であり、『延喜式』所載の神社にも擬せられるので、千有余年前の創建であると推定されます。例祭日前夜の新嘗祭行事は、日本に千年以上も前から伝えられている古い伝統行事です。
平和団地造成の際に神社移転が論ぜられましたが、識者によって現況を維持しました。
9.大杉神社
鎮座地 | 千葉県流山市加6丁目1272番地 |
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交通 | 総武流山電鉄線 流山駅より北0.5キロ、つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より北西1.3キロ |
御祭神 | 大物主命、櫛甕玉命 |
例祭日 | 6月27日 |
創建年代は不詳ですが、当地が舟運による物資の集散地として開け、大いに栄えた江戸時代、流山の隆盛期に創建されたと伝えられています。江戸時代の当地は江戸川の舟運によって、この地方第一の隆盛を極め、船問屋をはじめ、旅館・各商店等で賑わいました。当社の近くには、利根川沿いの布施川岸と陸路で連絡され、諏訪神社を経由した「諏訪道」と称した道があります。また、生魚を多く運んだので「なま道」とも呼ばれました。
舟運の盛んな地域であったため、舟運交通守護の大杉様がお祀りされたと考えられます。
天皇陛下御在位60年奉祝記念(昭和天皇)として、昭和63(1988)年に本殿、幣殿、拝殿を改築しました。
現在では神幸祭が盛んです。
10.熊野神社
鎮座地 | 千葉県流山市思井305番地 |
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交通 | つくばエクスプレス 流山セントラルパーク駅より南0.7キロ、総武流山電鉄線 鰭ヶ崎駅より西1キロ |
御祭神 | 櫛御気野命(熊野大神) |
例祭日 | 10月9日 |
当社は、天和元(1681)年11月に社殿を再建したと棟札に記されていますが、創建年代は不詳です。しかし、当地の集落形成は室町以前であることから、神社の創建は更にさかのぼると推定されます。
当社には旧八木村の地名発祥といわれる大きな「スダジイ」の木があります。
当社の創建にあたり紀伊の熊野三山より御分霊を戴き、この地にお祀りしようと箱から御札を取り出したところ、御札の間から一粒の椎の実が出てきました。これを境内に蒔いたところ、やがて芽を出し根元から八本の幹に分かれて大きく成長しました。この逸話から、八木村の名がつけられたといわれています。
11.香取神社
鎮座地 | 千葉県流山市前ヶ崎620番地 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より南西1.5キロ |
御祭神 | 経津主神 |
例祭日 | 10月20日 |
当社の創建年代は不詳ですが、旧社殿の棟札に明和5(1768)年とあり、江戸時代にはすでに立派な社殿があったことが分かります。また、当地は丘陵地で防衛にも優れ、付近には室町時代後期の高城氏の支城とされる城跡もあることから、神社の創建もその頃と推測されます。
現在の御社殿は、昭和47(1972)年に改築されたものです。
12.香取神社
鎮座地 | 千葉県流山市名都借1196番地 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より西1.5キロ |
御祭神 | 経津主神 |
例祭日 | 10月20日 |
当社の創建年代は不詳です。なお、当地は奈良時代にはすでに開発されており、平安時代にはこの地にお祀りされていたと推察されます。高市皇子の後裔が諏訪神社を駒木の地にお祀りする前に、この地を借りに都と名づけて住んだことが地名の由来であることからも、奈良時代で間違いないでしょう。
『千葉県知事保管台帳』に明治42(1909)年4月20日、雷神社合祀と記されていますが、雷神社が当社境内に移転遷座されたため、境内社が正しいです。現在、雷神社の跡地は学校の敷地となっていますが、巨大な椎の木はその面影を今に伝えています。
13.香取神社
鎮座地 | 千葉県流山市向小金2丁目199番地1 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より南西1.5キロ |
御祭神 | 経津主神 |
例祭日 | 10月20日 |
当地は江戸時代の初期に小金牧の一部を開墾して開発された新田です。当社はこの新田開発によって集落が形成され、その鎮守として創建されたと伝えられています。創建年代は詳らかではありませんが、昭和44(1969)年の社殿改築の際、旧社殿の棟札に元禄の記載があったため、当時すでにこの地に鎮座していたことがうかがわれます。
境内には「一里塚の碑」が建っています。神社の前の道は「水戸街道」と呼ばれ、水戸と江戸を結ぶ幹線道路として五街道に次いで重要なものでした。江戸から水戸へ一里(約4キロ)ごとに土を高く盛って塚をつくり、道程の目標としたのです。塚の大きさは4メートル四方で高さは3メートルほどあり、頂上には榎が植えられていたので「榎塚」とも呼ばれました。昭和62(1987)年、その跡地に石碑を建立しました。
14.三輪茂侶神社
鎮座地 | 千葉県流山市三輪野山5-619番地 |
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交通 | つくばエクスプレス及び東武野田線 流山おおたかの森駅より西1.3キロ、流山電鉄線 流山駅より北1キロ |
御祭神 | 大物主神(大国主大神) |
例祭日 | 10月15日 |
当社は、延喜式神名帳に下總の国「十一座・大一座・小十座」のうち葛飾郡二座(並小)とあり、茂呂神社、意富比神社と記載されています。三代実録、下総旧事考などにも記載されている古社です。創立は不詳ですが、式内社であり、また奈良時代・平安時代に大和地方から当地への部族の移動記録があるため、その時代の創建と推察されます。
茂呂神社については種々の考証がありますが、諸論説を検案すると当社と考えられるでしょう。また、幾度の神階昇叙や、境内に接した神宮寺の跡地、神社前から南方に延びる旧参道西平井の鳥居跡、更には近年神社鳥居前南へ直進1キロほどのところに大規模な祭祀遺跡が発掘されたことからも、間違いはなさそうです。この遺跡は、当社の拝所との考察もされています。なお、当地には景行天皇の時代に東国に派遣された御諸別王の子孫である毛野氏の一族が住んで、大和の三輪山に似ているこの丘陵地に大物主命を祀ったのが創祀とされています。また、古来から特殊神事として、1月8日に八升の酒、八升の餅、八種類の野菜の熟饌等を神前に供えて、祭典斎行後オトウ渡し(年番の引継ぎ)及び直会の後、若衆が供餅を奪い合う「餅取り式」を行ってきました。これを神賀楽餅行事といい、昭和52(1977)年12月22日、流山市の無形民俗文化財に指定されました。
15.雷神社
鎮座地 | 千葉県流山市鰭ヶ崎1767番地 |
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交通 | つくばエクスプレス 南流山駅より東1キロ、総武流山電鉄線 鰭ヶ崎駅より0.2キロ |
御祭神 | 大雷神(別雷大神) |
例祭日 | 10月15日 |
創建年代は不詳ですが、当地方は室町時代には名前が記されているため、その頃の創建と推測されます。古くは備社田を耕作し、この備社田から得た収入をもって神社の維持管理や祭事の費用に充てられました。社に備えるといった語源からお備社といわれています。
当社には古来より、特殊神事として正月20日(令和2(2020)年より正月第3日曜日に変更)に執り行われるお備射行事があります。成立時期は享保年間(1716~1736年)と伝えられ、300年余りの古い歴史を有しています。昭和52(1977)年12月22日には流山市の無形民俗文化財に、平成6(1994)年2月22日には県の記録選択文化財に指定されました。お備射行事は、拝殿での祭典終了後、年番の引継ぎを行ってから、拝殿の階段から鳥居の方向に立てられた赤鬼・青鬼の顔を描いた的に向かって、宮司をはじめ七福神に扮した当番や氏子総代が矢を射る行事です。その後、獅子舞や田吾作踊りが社務所で行われます。
16.香取神社
鎮座地 | 千葉県柏市正蓮寺300番地 |
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交通 | つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅から北へ0.7キロ |
御祭神 | 経津主大神 |
例祭日 | 10月15日 |
当社は永正11(1514)年9月20日の創建です。
日本地名辞典によると、元禄、天保、元和等の郷帳に村高及び検知のことが記されています。古くからこの地域の鎮守様としてお祀りされ、今日に至っています。
昭和7(1932)年に再建された社殿が荒廃していたため、天皇陛下御在位60年奉祝記念事業として、氏子よりの寄付、また社有地の一部を売却し建築費用に充て、昭和60(1985)年に改築いたしました。
神社の森には巨松が聳え立っていましたが、昭和40(1965)年頃に惜しくも松食い虫の被害により枯損してしまいました。また、境内にはかつて若者たちが祈願や力競べに使用した「力石」が残されています。
17.姫宮神社
鎮座地 | 千葉県柏市小青田4丁目12番地7 |
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交通 | つくばエクスプレス 柏たなか駅から北へ0.7キロ |
御祭神 | 姫宮大神 |
例祭日 | 1月19日 |
創建年代は詳らかではありませんが、室町時代(1392~1573年)の後期には集落が形成されていたので、その頃の創建と推測されます。
一説として、平将門の活躍した平安時代中期に人々が移住したとも伝えられてきました。
東には利根川の清流、その彼方には筑波山を望む景勝の地で、森厳な社叢を形成しています。
なお日本地名辞典によれば、元和6(1620)年の検知には、下総の国に属する小青田村とあり、江戸時代初期には既に立派な集落が形成されていたことが分かります。
社殿は、昭和初期に改築された幣殿と拝殿を、老朽化のため平成21(2009)年に改築し、同年10月に竣工祭を盛大に執り行いました。
当社には、御祭神のお姿が描かれた掛け軸があります。小青田の人々には、古くから掛け軸に描かれた御祭神が身に着けているものを身に着けないという風習があり、何百年もこれを守っています。
18.皇大神社
鎮座地 | 千葉県柏市十余二1番地1 |
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交通 | つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅より西へ0.7キロ |
御祭神 | 天照皇大御神 |
例祭日 | 10月15日 |
明治新政府は幕府の瓦解により生活の糧を失った人々を救済するため、幕府の牧場を初富・二和・三咲・豊四季と順次開墾し、13の開墾地をつくりました。この地は12番目であったので「十余二」という名前がつけられたそうです。
当社は、伊勢の神宮より御神璽を拝戴して創建され、明治15(1882)年5月1日に創建祝賀大祭が盛大に執り行われました。字名は伊勢原と称し、集落の紐帯として朝に祈り夕に感謝の誠を捧げて今日に至りました。
19.地主神社
鎮座地 | 千葉県柏市篠篭田650番地 |
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交通 | 常磐線 柏駅より西北1.5キロ、東武野田線 豊四季駅より東へ2キロ |
御祭神 | 大国主大神 |
例祭日 | 10月19日 |
創建年代は詳らかではありませんが、当地名は平安時代初期には志子多と呼ばれていました。「鏑矢伊勢宮方記(かぶらやいせみやがたき)」には下総国相馬郡布施郷を伊勢の皇大神宮に寄進したとあり、その四至が記載されています。南限に「志子多谷并手下水海」とあり、相馬御厨(みくりや)の古文書には、下総国色陀(しこだ)という地から、東大寺に地方の産物が納められたことが記されています。「志子多」「色陀」がさすのはいずれも篠籠田のことです。
日本民族は集落が形成されるとその紐帯として神社を創建したため、千有余年の歴史があると考えられます。
昭和62(1987)年、老朽化による拝殿の改築の際、新たに幣殿を設け拝殿を建築しました。
20-1.熊野神社
鎮座地 | 千葉県柏市高田626番地 |
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交通 | つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅より東へ1.3キロ、常磐線・柏駅より北へ1.3キロ |
御祭神 | 熊野大神 |
例祭日 | 10月19日 |
境内社 | 大杉神社 |
神社の創建は不詳ですが、南側に隣接する篠籠田の地が1,000年以上前にはすでに集落を形成しており、この地もその頃には人々が暮らしていたと考えられます。蟻の熊野詣でといわれた平安初期の頃か、相応の歴史を有するものと推測できます。江戸期には、布施の渡しから流山への「諏訪みち」で、駄送するウナギの水切り場などもあって、神社前の往来は賑わいました。大正の頃までは、氏子たちが家順に担当して、毎日夕方神社境内に灯火を献げました。里人は鎮守様の灯火を見て、農作業を終えたと伝えられています。
20-2.境外社 小松翁稲荷神社
鎮座地 | 千葉県柏市高田1015番地 |
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交通 | つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅より南へ1キロ |
御祭神 | 宇迦之御魂神 |
例祭日 | 2月初午日 |
御祭神の名称は前記の他に倉稲魂神、または保食神、豊受姫神、豊受大神と呼ばれる稲荷大神です。稲荷神社特有の御神徳の話も多く伝わっています。当社は、古くは近くの字翁原(小松原)に鎮座していましたが、明治5(1872)年に氏子54名にて現在地の四畝歩を購入、遷座しました。昭和9(1934)年、隣接地2畝歩を氏子の山崎氏が寄進。それいらい境内地を整え、2月初午には各地よりの参拝者も多く来られます。
21.香取神社
鎮座地 | 千葉県柏市旭町2丁目7番23号 |
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交通 | 常磐線柏駅から西へ500メートル |
御祭神 | 経津主大神 |
例祭日 | 10月20日 |
明治新政府により開発された旭町、小柳町、末広町、通1丁目、3区2丁目、栄町の総鎮守として、明治22(1889)年に現東葛飾高等学校の敷地に創建されました。大正14(1925)年、同校の前身・東葛飾中学校の創立に伴って、旭町2丁目18番に遷座。昭和27(1952)年、国道の拡幅に伴って、現境内地を浅野四平氏より譲り受けて社殿を移築遷座しました。
境内社 大鳥神社
御祭神 | 日本武尊 |
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例祭日 | 11月酉の日 |
昭和39(1964)年、大阪府堺市鳳町の大鳥大社より御分祀として創建されました。御祭神は景行天皇の勅命によって房総の地に東征、三重県能褒野にて薨去後、白鳥となって鳳の地に至ると伝えられています。11月酉の日には、多くの参拝者が来られます。
22-1.稲荷神社
鎮座地 | 千葉県柏市今谷上町63番地 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より東へ500メートル |
御祭神 | 稲荷大神 |
例祭日 | 10月15日 |
この地は8代将軍吉宗の新田開発の奨励によって、享保8・9(1723・1724)年頃、今谷新田として開墾されました。天保郷帳には、村高37石余とあります。明治22(1889)年に土村の大字、昭和25(1950)年には現在の町名となり、平成29(2017)年に柏市と合併しました。神社は、吉宗が小金原で大規模な鹿狩りを行った享保11(1726)年頃に創建されました。現在境外社である八坂神社は当社と同時代に創建され、明治より知事保管台帳所載の神社でしたが、宗教法人法によって合併されました。
22-2.境外社 八坂神社
鎮座地 | 千葉県柏市今谷上町34番地 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より東へ600メートル |
御祭神 | 素盞嗚尊 |
例祭日 | 10月15日 |
当社は、小金上町の人々が上野牧のこの地を開拓し、その地縁によって小金町の八坂神社を分祀したのが創建と伝えられており、稲荷神社と同時代に創建されたと思われます。明治より知事保管台帳所載の神社でしたが、昭和27(1952)年に宗教法人法によって稲荷神社と合併しました。昭和59(1984)年4月に境内を整備、社殿を改築し感謝の誠を捧げ、今日に至ります。
23.神明神社
鎮座地 | 千葉県柏市富里2-4-813-8 |
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交通 | 常磐線 柏駅より南2.2キロ、南柏駅より北2キロ |
御祭神 | 天照皇大御神 |
例祭日 | 10月15日 |
鎮座地である富里町は、昭和42(1967)年に改名された町名で、かつては柏市豊四季の一部でした。明治政府が明治初年に東京府に命じて始めた殖産事業において、幕府の牧場となっていた小金牧の一部である上野牧を、初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三と次々に開墾させました。当地は4番目の地のため、豊四季名づけられたそうです。各地からかつての武士をはじめ次男・三男や、世の変革によって職を失った多くの人々が移り住んで集落を形成しました。やがて人々の心のよりどころとして、天照大御神を奉斎して神明神社を奉建。崇敬の誠を献げてきましたが、現在は柏市の富里一丁目、二丁目、三丁目、泉町、中央、若葉町、豊町東・同西、新富町、南柏、吉野沢、豊中町などの共同の鎮守として、篤い尊崇を集めています。
24.稲荷神社
鎮座地 | 千葉県柏市豊四季945-1 |
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交通 | 東武野田線 豊四季駅より南へ1キロ |
御祭神 | 稲荷大神 |
例祭日 | 10月15日 |
この地は、明治新政府が一帯を開墾させ、達成の暁にはその土地を入植者に譲与するとしましたが、すべては必ずしも計画通りに実施されませんでした。境内の岩倉卿報恩碑に記された内容によると、卿の施策によって早く自作農が達成され、住民は精農努力して家運は繁栄したのです。そして神社を創建し、朝に祈り夕べに感謝の誠を献げて今日に至りました。近くには、徳川の放牧時代、野馬を捕らえた場所があったので、地名を捕込と称したことがありました。
25.八幡神社
鎮座地 | 千葉県柏市豊四季643-5 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より東0.5キロ |
御祭神 | 誉田別尊 |
明治新政府になって下総牧場を入植者が開墾したとき、ここ豊四季に最初に九戸が入植しました。明治の中頃になって、その九戸で相談して鎌倉の鶴岡八幡宮より御分祀、創建されたということが、古老の伝として伝えられています。
26.雷神社・稲荷神社 合祭社
鎮座地 | 千葉県柏市豊四季556-1 |
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交通 | 常磐線 南柏駅より東0.5キロ |
御祭神 | 大雷神、倉稲魂命 |
ここは、明治新政府の政策によって入植開墾された土地です。豊作を祈り、慈雨を祈る住民の篤い心により、自然発生的に明治初年に別雷大神と稲荷大神が祀られました。ご社殿は明治29(1896)年に造営・鎮座されました。いらい、その篤い信仰を代々受け継ぎ、伝えられて今日に至っています。
27.豊四季一本松稲荷神社
鎮座地 | 千葉県柏市豊四季269-2番地 |
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交通 | 東武野田線 豊四季駅より東へ500メートル |
御祭神 | 稲荷大神 |
例祭日 | 10月15日 |
豊四季は、明治新政府により牧場が開墾された場所です。牧場といっても草原だけではなく、各地に林も自生樹もあったそうです。直ぐ近くのお諏訪さまの社叢は茂り、この地の一本松は幾百年の風雪をしのいだ見事な樹形で、道行く人の目標であり、にわか雨にも暑さにも、耕作の人もまず頼る拠り所でした。集落が形成され、里の鎮守様の境内地はここをおいて他にないと一本松稲荷神社が創建されました。子々孫々、相承け相携えて、神徳の昂揚と社殿の護持に努めて今日に至っています。
28.厳島神社
鎮座地 | 千葉県柏市十余二字下大塚404-71番地 |
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交通 | つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅より西1キロ |
御祭神 | 市杵島比売命 |
例祭日 | 10月15日 |
御祭神は古事記に「中津宮ニ坐ス」とあり、神仏習合の際に水の女神というところから弁財天に当てました。この地はかつて高田原と称する徳川幕府の牧場でしたが、明治新政府の授産奨励事業として招集された、各地よりの開拓者が開墾。やがて集落の形成とともに、共同生活の拠り所として池を囲んで樹木の茂った聖地(旧飛行場南端)に社殿を営み、厳島神社を祀りました。昭和12(1937)年、陸軍の飛行場設置に伴って、現在公民館のある場所を境内地として遷座。しかし、公民館の建設に伴って平成2(1990)年に現在地に再び遷座されました。
この地を永久保存するため、宗教法人厳島神社の創設を試みたものの、困難であるため諏訪神社の境外末社としたのです。以後この土地は厳島神社の境内地として諏訪神社が名儀者となり、これを永久に護持することとなりました。
29.永寿稲荷神社
鎮座地 | 千葉県柏市豊四季字向神山71-105 |
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交通 | 豊四季駅より西へ600メートル つくばエクスプレス流山おおたかの森より南へ500メートル |
御祭神 | 稲荷大神 |
例祭日 | 10月15日 |
この町は、明治新政府の主導により、東京府下をはじめ各地からの入植者が下総牧場を開墾した際に、その順が4番目だったために豊四季村と名づけられました。大正3(1914)年に千代田村、大正15(1926)年に柏町、昭和29(1954)年9月には東葛飾市、更に同年11月に柏市と改称されました。豊四季の大字富士見町は、富士山が美しく良く見えるので名づけられたそうです。神社には明治17(1884)年8月創建との碑があり、御祭神は宇迦之御魂神(稲倉魂神)です。宇迦は食(うけ)の意で、一切の食物を司ります。特にその根元である稲穀の生産をお守りになり、普く家運の平安と隆昌の神徳がございます。