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社殿

社殿 諏訪神社の御社殿は江戸時代のものです。神社の創建は古いのですが、この社殿は寛延2年(1749)の火災により宝物などと共に焼失、残った曼荼羅、鰐口などは別当寺に与えて新たに建てなおしたものです。焼失前の社殿は、水戸光圀公もおまいりされたもので、高城城主の光圀公参拝に関する記録で、御社殿は厳かで青苔も滑らかに、いかにも国家鎮護のお社に相応しいものだったと記されています。

 そこで光圀公は法楽を奉納されたと記録されていますが、今の御社殿とは違った雰囲気のものであったろうと推察されます。現在の御社殿は、江戸時代の文化の象徴である建築様式で、従来のものとは形式が違います。

 本殿前後左右一間、いわゆる一間社造りで文政9年(1826)建設、本体に向拝が取り付けられていて組物、肘木、天井などは唐物仕上げ、幣殿は桁行三間、梁行三間の六坪、棟札により、棟梁は下総香取郡の中村西谷之住人・並木文蔵(彼は多古の文蔵といわれる人で、国の重要文化財である成田山新勝寺の楼門を手がけた人です)、大工は下総葛鹿郡八木村之住人・染谷磯右衛門(彼は同じく八木の文蔵と呼ばれています)で、当初は瓦葺きであったのを、安政3年(1857)七月に「銅葺成就之砌奉謹図之」野々下大工林吉、江戸小伝馬町 諏訪新道、銅子師弥五郎とあります。

 拝殿十坪は、幣殿と接続されていて、間口四間、奥行二間半、弘化3年(1846)丙午の完工で八木の文蔵の作、本殿とは別にやや後に作られたことが分かります。また大正13年に、瓦葺きの拝殿は、銅板葺きに改められました。このときは、社務所の改築工事もあったのですが、これらの費用は当神社の大森講中をはじめ多くの講中が中心になり、それに近隣の崇敬者の浄財を合わせて、秋山工務店によっておこなわれました。

 本殿・幣殿・拝殿は、いずれも昭和55年に流山市の文化財指定第一号に指定されています。なお、諏訪神社の社殿の建築様式は江戸時代に完成された本殿幣殿、拝殿がつながる社殿形式・権現造りのものです。権現造りの建築では、時に中間にある幣殿は、やや簡素に作られたものも多いのですが、諏訪神社のそれは、幣殿も堂々たる梁に支えられた本格的な建築で、これが社殿全体としての力強さを感じさせています。

 この文化財の社殿に、祝詞殿六坪、内拝殿八坪、外拝殿十五坪(いずれも昭和49年建設)、土間拝殿三坪(昭和56年建設)が接続されていますが、これらも一貫した様式で統一されており、ご社殿は森に包まれた神域に厳かに鎮まり、全体としての調和もよく、千年を越す歴史を感じさせるものとなっています。ここに御祭神の健御名方富神が鎮まっておられます。

 正殿前に立って見回すと、江戸時代からの灯籠や北村西望作の狛犬などの像とともに、拝殿前には、諏訪神社にあった古くからの施設やお屋根などの銅板で鋳直して造った天水桶、春日灯篭はじめ多くの灯篭が社頭の雰囲気を厳かに盛り上げています。社殿の左の方にも色々のものがありますが、その説明は後にすることにして、まずは順路に従って右に折れて、参道を進みましょう。

 参拝を終えて右側に進むと、まずご本殿に並んで建っているのが姫神の鎮まる摂社の姫宮神社です。神社には、ご正殿に姫神さまをご一緒にお祀りするところも多いのですが、諏訪神社は、信州の諏訪大社同様、姫神さまも独自のご社殿に鎮まっていらっしゃいます。

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