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御祭神

 御祭神は、三代実録には健御名方富命、古事記には健御名方命、続日本後記には南方刀美命、神皇正統記には健御名方刀美命などと見える。当社では、健御名方富命と称える。
    この神様は、古事記に国護りの神話の段で大和国の使者健御雷神と力競べとなって諏訪国へ逃れたとあるが、このことについて本居宣長も疑問としているように、本来健御名方神は出雲国で出生されたのではなく、又出雲国には住んでも居られない、あの神話の中で、健御雷神と対立的な神として挿入されたものであろう。
それは御父大国主神は、伊勢に祀られる皇祖・天照大御神の弟で八岐大蛇退治で知られる素戔嗚尊のお子神であられます。
健御名方神に関しては「先代明神記に」八千矛神(大国主神)と高志沼名河比売との間に生まれた神と記してあります。
沼名河比売は新潟県と富山県の間を流れる糸魚川地域の女王です。「沼」とは古語の「瓊」(ぬま)をさし、硬石で翡翠を指します。翡翠は深緑色の羽毛をした「カワセミ」のことで、翡は雄を翠は雌をさします。この石は、霊石として指導的立場の人の求めて止まないものであった。出雲の国には瑪瑙は産するが、翡翠はありません。そこで大国主命はこの翡翠を求めて出雲から、日本海に沿って港から港へと旅を続けられた。大国主命は、徳も高く優れた技術と識見をお持ちだったので、行く先々で歓迎されて糸魚川まで来られた。そこには優れた才知を持ち、卓越した霊力を持たれた越の国の美しい女王が居られた。比売の住所は今の青梅町の黒姫山の麓の福来口です。大国主神は門前に立って妻問いをされました。この歌に返し歌で美しく答えて結婚をされました。
そしてこの身能輪山の里で共に越の国の治世と翡翠の生産に励まれ、やがてこの山の裏手岩殿山の里で健御名方神はお生まれになりました。
何年かして、出雲国の健御名方神の兄神である事代主神から、出雲国に帰られるようにと使者が来た。そこで、大国主命は沼名河比売に一緒に出雲へと言われたが、「私は越の国を治める女王でありますのでご一緒はできません」と、それで「厭う」から糸魚川と名がついたとのことです。

健御名方神は立派な成人になられると、この国は母が治める国である、自分は他に出ようと、糸魚川の上流には松本の国が、その先に諏訪湖を囲んで洩矢神の支配する王国がある。諏訪大社に伝わる「絵詞」によると洩矢神と戦ったとあります。それは、健御名方神は藤の枝で、洩矢神は鉄の輪を用いたとあります。このことは、砂鉄を採る際の道具であると実証した研究者が居ります。欺くして、健御名方神は治政を、洩矢神は祭祀を夫々分担して諏訪国を統治することになります。明治まで続いた「大祝」・「神長官」や、洩矢神に属する「足長・手長」など多くの神々の社が今に伝わって居りますことからも諾かれるところです。

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